記憶喪失学

ヲタ活記録用。

まるでノイズみたいな恋に~2014/4/22「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」@新宿ピットイン~

嘘のようなホントの話をしよう。

 

夢を見た。意中の女性に花を贈ろうとするも、受け取ってもらえず振り向いてもらえないまま立ち去られた所で目が覚めた。もう滅多に夢も見なくなり、寝覚めの悪い自分にとってはずいぶんと珍しい事だ。よりにもよってこんな日の朝に。少し出来すぎた話のように想う。

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2014/4/22(火)の新宿ピットインでのJAZZ非常階段とJAZZBiS階段のライヴは、結論から言えば強烈で豊潤でノイズサウンドの振動による聴覚上の刺激、そして肌で感じる”手触り”の快楽、快感をひたすらに享受した「楽しい」ライヴであったし、それは「聴取」と言うより「体験」に近い時間であり、また予想をはるかに超えたパフォーマンスでありエンターテイメントだった。

そのサウンドは間違いなく丁々発止のジャズ・セッションであり、共鳴し、干渉しあうノイズミュージックそのものでありながら、最高峰のミュージシャン達とアイドルという異種格闘技戦としても、その空間で表現史上稀に見る異様なな化学反応が起こり続けている事を全感覚で感じられた大変貴重なライヴだった。

そして、「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ、またその固定観念の檻がその場で粉々に打ち砕かれ、ノイズの海に融けて行くのを体験した、開放的で清々しい気分の夜となった。

 

このライヴの前週に放送された「題名の無い音楽会」で大友良英さんが「ノイズとは何か。ひいては音楽とは何か。」と言う問いを発している。これは事あるごとに語られて来た、常に音楽が直面して居る問いだが、この日のライヴはその問いへの一つのアンサーを再確認させるものたり得たのではないか。ノイズ・ミュージック史に、そして音楽史に残るべき夜であった事を確信し、今、数ヶ月振りにブログの筆を取っている。

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約3ヶ月前にこの共演が発表された際の衝撃と興奮を抱えたまま、この日を待ちわびながら幾夜を越えてきた。

※過去ブログ参照 

「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」の実現に寄せて - 記憶喪失学

 

その想いが結実する日を迎え、期待と本当にそれが現実になるのかと言う不安、そしてその瞬間が過ぎ去ってしまう寂しさを、まだ始まってもいないのに携えて、新宿ピットインへと足を向けた。ピットインへ行くのは今年2月の坂田明さんと芳垣安洋さんの生誕ライヴ以来だったように思う。(サイリウム焚いたり生誕Tシャツ作ったりしてないですよ、念のため。)まさかその次に坂田さんの演奏を聴くのがBiSメンバーの共演となろうとは。。。

 

開場前に並んでいる人の数は、ピットインでは年に数回あるか無いかのレベルの混雑で今日のライヴへの注目の高さを伺わせた。最近ではあまちゃん関連のライヴ、僕が過去この会場で遭遇した中では菊地成孔山下洋輔の共演やONJOと同レベルの鮨詰め状態。しかしながら、BiSメンバーの出演と言うトピックが無ければ、恐らく集客は半分程度だったのでは無いかと思った。研究員には高い音楽の素養があったり、知識・造詣の深い諸兄が多いように思うが、あまりノイズに関わる事の無かった研究員にとって、BiS階段のお蔭でノイズに触れる機会はあったのだろうが、今日の演奏を聴いてどのような感想を抱くのか、少し興味が湧いた。会場内では上手のスピーカーの目の前に腰を下ろした。

 

どのような構成のライヴになるのか、事前のイメージでは前半はJAZZ非常階段としてBiSメンバー抜きで、後半からBiSメンバーを入れて演奏かな、等と考えていたが、早速その予想は覆され、冒頭からJOJO広重の口から「割と短い間隔で、メンバーを組み替えながらセッションしていく」と案内があった。これは面白い。次にどんな組み合わせのセッションとなるか全く予想がつかない楽しさがある。

 

ステージ上手には大友良英ギブソンのセミアコをレンチで引っ掻くいつものスタイルに、JOJO広重のSGを持つ姿とアンプが並び、2台のギターのノイズとフィードバックの海に飲み込まれる事になる。(上手最前に座っていた研究員の話では文字通りギターのサウンドを「浴び続けた」との事。)

下手は電子機器によるノイズ・セクション。T・美川と時には並び、ヒラノノゾミがここで機材を操作した。

中央にはJUNKOの(後にファーストサマーウイカも1曲使用)ヴォーカルマイクと坂田明のサックス・クラリネット用のマイク、後ろには岡野太のドラムセットが鎮座する。

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セットはY_Maruyama様(@DubTheWorld)のツイートより引用。(直接ご面識が無いので明記しておきます。)

 

第1部

1.JOJO広重、T.美川、大友良英

2.T.美川、ヒラノノゾミ

3.大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

4.JOJO広重ファーストサマーウイカ 

5.JOJO広重、JUNKO、ヒラノノゾミ 

6.坂田明、JUNKO

7.坂田明、T.美川、ファーストサマーウイカ 

8.坂田明、岡野太

 

 

第1部-1.JOJO広重、T.美川、大友良英

 

JOJO広重の紹介でメンバーが登場する。最初はJOJO広重、T.美川、大友良英の3人による演奏。いきなり容赦ないヒストリックで凶暴なノイズが撒き散らされる。ギターの金属音とフィードバックに電子音が鼓膜と身体を打つ。自分の席はスピーカー・ウーハーの目の前だったのでその振動は、比喩ではなくもはや物理的にマッサージとして成立するレベルである。ノイズは肩こりに効く。

 

第1部-2.T.美川、ヒラノノゾミ

 

続いて、早くもT.美川とヒラノノゾミの師弟共演。今までのBiS階段でのセッション同様、彼女が操作しているのはAirSynthが多かったように思う。これは手を近づけると赤外線センサーでその距離とベクトルを検知し音が変わる機材で、慣れればある程度音程を取ってフレーズを演奏することも可能だが、特に演奏技術を必要とするものでもないし、彼女のその直感的な感覚を表現するにはピッタリだったように思う。あと、使ってても見てても面白い、というのもライヴでは重要な要素。しかし寡聞にして自分以外にほとんど使い手を見た事の無い機材を、目の前でのぞしゃんがいじっている様を見るのは単純に何か嬉しいしアガるものである。「あ!プリセットの何番の音だ!」などと聴きながら想うのも中々乙なものである。

その耳をつんざく電子ノイズサウンドと、のぞしゃんのほんわかした佇まいの異様さが、正にノイズとして干渉し合うかのような、不思議で強烈なセットだった。

 

第1部-3.大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

3番手には大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ。自分の最も敬愛する音楽家の一人であり、音楽観は勿論、震災以降の自分のアティチュードに最も深く根ざしている活動家と、愛しの推しが共演するのだ。しかも我がホームたる新宿ピットインで。その思いたるや、感無量と言う他ない。この日のファーストサマーウイカは、以前水曜日のカンパネラのイベントで鹿を解体した際にも(いずこねこのキネマ倶楽部ワンマン行ってて見れませんでした…ゴメンなさい…)着用したと言う黒いドレスにカチューシャ、目の周りを黒く塗って軽いアングラモードと言った装い。麗しい。

 

そのファーストコンタクトは、やはりBiSメンバーには緊張が見られたように想う。キャリア・その場で鳴らされるサウンド共に間違い無く世界最高峰のミュージシャン相手なのだから当然である。この時点でははまだ様子を探っている、大友とヒラノノゾミの発する「場」のサウンドを、そして大友を「観察」している印象だった。

 

しかしながら、全く体格もプレイも異なる岡野太のキット・セッティングで良くもあそこまでドラムを演奏出来るものであると毎度ながら感心する。何度かプレイしているので、少しでも慣れはあるのかもしれないが、それにしてもハイピッチなチューニングのキットに恐らく慣れないであろうツインペダルのセットで、なかなかセッションですぐに出来るものでは無い。勿論ドラムに関してブランクがあるのは本人も語る通りであろうし、このあとに出てくる岡野太の爆裂なプレイと比較するのは酷と言うものである。岡野太のレギュラーグリップで居ながらグリップエンドを持ってのしなやかなショットから放たれる粒立ちの良いサウンドは本当に素晴らしい。ここで彼女が意識した上の結果かは知るよしも無いが、特に音量のコントロールや、プレイの節々に当然アラも伺える。しかし、そのアラやロックビートに転じた際の思い切りの良いプレイの気持ちよさの振り幅が、このセットでは逆に魅力的に機能していたように感じた。

 

ただしこの「何度かこのキットとメンバーでプレイしている」と言うのがポイントであると僕は想っていた。フリージャズ・フリーインプロビゼーションは、既存の音楽におけるルールである調声や和声、楽理、リズム等々の要素から離脱すると言う考え方に端を発するが、逆に「逸脱する」と言うルールに捕らわれて、妙に”「こうすれば普通ではないだろう」と言う慣れ”に陥ってしまいがちなものでもあるだからだ。このような演奏経験が恐らくは無かったであろう彼女が、数回のセッションを経て、ノイズ・ミュージックをプレイする事に”慣れ”てしまっていないかと、3月の姫路でのBiS階段以降、実は仄かな不安を頂いていたのだ。

 

この先の後半で、そんな不安を粉々に打ち砕くかのように、ファーストサマーウイカが攻めのアプローチに転じる瞬間を目の当たりにする事になるのだが、この時点ではまだ様子見で、その予兆を僕は感じ取れずにいた。

 

第1部-4.JOJO広重ファーストサマーウイカ 

 

ドラムプレイに引き続き、「この1曲だけ」と言う紹介でファーストサマーウイカがマイクを取り、JOJO広重と二人でステージのフロントに立つ。2013年12月の初台ドアーズでの頭脳警察のライヴでも披露した「さようなら世界夫人よ」である。

このセットはただその堂々とした姿と歌声、オーラに圧倒され息を呑むばかり。演劇・アングラ方面が出自であるファーストサマーウイカとの親和性は抜群で、様々な引き出しを持つ彼女をして、一つの真骨頂だったと言って良いだろう。JOJO広重のノイズと呼応するばかりか、そのノイズと歌声を引き出していたようにすら想う。

僕はJOJO広重と「歌」を想う時、4年前原美術館で見た彼と穂高亜希子さんの演奏と歌を忘れる事が出来ない。堪えても抑えきれず、うめき声のように、振り絞るように歌われた「歌」。

そんな場面すら想起させる、圧巻のセットだった。つくづくとんでもない女性を推しに見初めてしまったものだと想う。「なんでこのねーちゃん、BiSなんてやってるんだ?」とまぁ。

 

第1部-~ラスト

 

このあともセッションは続き、JOJO広重から「のんちゃんを養子にしたい」と言う発言もあった中、白眉だったのは坂田明クラリネットとJUNKOのハイトーンヴォイスによるセットだった。

双方ハイトーンを発し続けるのだが、耳の真横にあるスピーカーから放たれる高周波が、耳の周りで次第にフェイジングして、聴こえる「位置」が少しずつ変わって行きながら回転し続ける感覚。そして、次第にその空気と共に耳そのものが熱くなっていくのを覚えた。ノイズサウンドの特定の周波数帯をピックアップして沸騰させた際の新たな感覚。まだ、新しいフィジカルな感覚を音楽が与えてくれる事に感激した演奏だった。

 

ここで休憩を挟む事がアナウンスされる。休憩の存在に戸惑う客が多い事に、やはり今日はBiS目当てで始めて来た研究員が多いのだな、と実感する。第1部だけでもその点に関するトピックが幾つかあった。まず、そもそも開場直後からしてダッシュで席を確保し、推しが見やすい席との交渉が発生していた時点で、そんな光景を僕はピットインで観た事が無い。また、ライヴ中も一見岡野太に似た長髪の研究員がひたすらその髪を振り乱しながら頭を振っていたし(彼はファーストサマーウイカから大友良英への「BiS階段解散ライヴ来てくれるかなー?」と言うフリに、客席から「おおともー!」とガヤを入れ、大友から「うるせー!w誰だよお前!w」とツッコミを受けていた。)、また関西弁にも関わらず、彫りが深く一見イタリアン・マフィアのようにも見える研究員と思われる男性が「ウイカー!ほんまエエ女やぁあ!!!ウイカーぁああ!!」と叫び続けるシーンもあり、老舗ジャズ倶楽部たる新宿ピットインとアイドルヲタクの中でも極北に位置する研究員の化学反応も、ステージ上同様予想がつかないものとなっていたのだ。

 

この時点での僕の感想はこの一言だった。一体後半はどうなってしまうのか...

 

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第2部

1.JOJO広重大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

2.T.美川、大友良英、岡野太

3.坂田明大友良英、JUNKO、岡野太

4.JOJO広重、T.美川、坂田明大友良英、JUNKO、岡野太、ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

第2部-1.JOJO広重大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ

ノイズの海・洪水の中でどう存在すべきか、戸惑いながらも音を出し続けるヒラノノゾミ。圧倒的な「量」(それは質量でもあり情報量でもあり感情量でもある)を放射する重鎮。そんなこのセットから、ファーストサマーウイカは「観察者」でありながらも、ついにアプローチに転じたように見えた。それはテクニックやノイズ・JAZZの経験と言う土俵では無く、自分で考えて出来ることをやろうと言う開き直りだったのかもしれない。僕が語るのもおこがましく憚られるのだけれど、彼女は物凄く勘が良い女性なのだと想う。それは生まれ持ったものや野生とは違い、彼女自身の経験や身につけたものを総動員して、兎に角圧倒的な速度で思考して行動を導き出す。経験則と言っても良いが、物凄く物凄く突き詰めて考えているのだけれど、それはもはや「勘」と言って良い反射速度であるからだ。その演奏のさなか、リズムを回避しようと言う意識が感じられる運動だったところから、シャッフルビートを提示しはじめ(ウイカなりの4ビート)、それに大友良英が感応し、リズムを刻み始める。音楽家同士の音の対話がそこにはあった。ノイズと言う本来言語体系を成さないハズのサウンドでの意思疎通。

 

この瞬間が、冒頭に述べた「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ、またその固定観念の檻がその場で粉々に打ち砕かれ、ノイズの海に融けて行くのを体験した瞬間だった。

 

この淙々たるメンバーの中での演奏としてはたどたどしかったかも知れない。でも、気取るのを止めた(ように想えた)BiSメンバーの演奏は、思いっきり楽しもうと言う意思によって鳴らされ、「ルールから逸脱しなくてはいけない」「奇をてらってハチャメチャでなくてはいけない」、そんな手段と目的がすり替わってしまった制約に捕らわれなくても良いのだと、気がつかされた気がしたのだ。フリージャズはそれに捕らわれた時代があった。そしてそれは…まるでどこかの破天荒アイドルグループで聞いたような話だ。なんてのはまた少し出来すぎた話だろうか。

 

ファーストサマーウイカはここからのぞしゃんをドラムセットへ誘導し、自らはノイズ・マシーンを操り、マイクでJUNKOばりの金切り声を上げるなど、縦横無尽にパフォーマンスを繰り広げる。これほどまでに観客を楽しませるステージングが、今までノイズ・ミュージックにあっただろうか。今この瞬間、間違い無く自分が他では得難い経験をしている事を実感しながら、ステージへ向けた全ての感覚を離せないでいた。

 

第2部-~ラスト

 

そんな異様な覚醒感・万能感を携えたまま、本編は全員がステージに登場しての最後のセッションを迎える。ドラムセットには岡野太が座り、ファーストサマーウイカはタンバリンを持って鳴らしたり、シンバルを叩いたりする。2台ギター、ノイズマシン/エフェクター、ドラム、ヴォイス、サックスが総動員され、この日最大量のノイズが放たれる中、客席も呼応して雄叫びが上がり、拳が突き上げられる。更に狂熱はエスカレートし、遂には、恐らくピットイン史上初めての事態と思われるが、研究員が薄緑色のサイリウムを焚いてステージに向け振り回す状況までが勃発したのだ。その只中へタンバリンを持って客席通路をファーストサマーウイカが練り歩く。祭りだ。もはやノイズ祭りと化したピットインは世界に名だたるミュージシャンとアイドルグループとそのヲタクがサイリウムを振り回して喚き散らす、正に混沌のノイズの燃え上がる海と化して、その本編の幕を下ろした。心に湧き上がる「人生は祭りだ!共に生きよう!」と言うソウルフラワーユニオン中川敬の言葉とともに、その火は心に燻ったまま。

 

 

アンコール

JOJO広重,、T.美川、坂田明大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

止まらないアンコールに出演者がすぐに応えて登場し、最後のセットが演奏された。せめぎ合い、緊張感をキープしながらも、この日の演奏を通じて、何処か気心しれた仲になったような、そんな激しさの中に穏やかな気持ちすら感じた演奏だった。

 

しかし、やはり緊張していたのだろう。遠慮もあったのだろう。途中も最後のMCも、いつものようなあまりにハチャメチャな話は無く、挨拶のあとで客席に背を向けた。それが分かっていながら、気持ちを伝えたいと言う身勝手な想いと分かったまま、ファーストサマーウイカを呼び止めた。振り向いてもらえない、そんな夢が頭をよぎりながら。それでも、振り向いてくれた彼女の顔は、やはりホッとして気が少し緩んだ表情に見えた。そんな彼女に花束を渡しながら言えたのは「ピットイン出演おめでとう。本当に素晴らしくて、本当に素敵だった。」と言う一言だけだ。それ以上も以下も要らなかった。あんな状況で呼び止めてゴメンね。本当にお疲れ様でした。

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ここでファーストサマーウイカのブログを引用する。

BiS ファーストサマーウイカ オフィシャルブログ「ファーストサマーウイカの有為転変ブログ」Powered by Ameba

 

(正直、あまりにこの文章が素晴らしく、言いたかった事がほとんど簡潔で分かりやすく彼女自身の素敵な言葉で綴られていたので、自分がブログを公開する意味はもはや無いと思いつつも。)

 

>ドラムでノイズを表現するのが本当に難しかった。

>叩けば音が鳴ってしまうからです。

>刻めばリズムに聴こえてしまうからです。

>うるさくても適当にガチャガチャやってもノイズにならないのです。

 

このくだりはなんとソリッドな気付きだろうか。テーマとして、あらゆるインプロヴァイズ・ドラマーにインタビューしたい問いである。音と音の「隙間」を、「間隔」を演奏する楽器でもあり、ギターノイズのようにロング・サスティーンが無い打楽器・ドラムにおいて、ノイズをどう表現するのか。岡野太とドラマー会談をしたとの文を読んだ記憶があるが、そんな話をしたのだろうか。興味はつきない。

 

そして、構築と脱構築。調声と無調声。常識とそれから逸脱した非常識。創造が無くば破壊は無い。それら相反するように見える要素は、常にその互いを内包している。型を修めたものでなければ「型破り」にはなりえないのだ。ルールは自分を縛るものでは無く、社会の中で自分を守ってくれるものだし、「自由」ほど孤独な事は無い。「自由」ほど恐ろしい事は無い。全て自分だけで何かを決めて成さなければならないなんて。だから、それは認めなくちゃいけない。破壊だけを望む事は、最初から破綻している。

 

調声から、旋律から、旋法から、コードから、メロディーから、リズムから、音韻から、イディオムから、クリシェから脱却する方法論としてのフリー・ジャズ、ノイズ、フリー・インプロヴィゼーション。それらに縛られないと言う思いだけがいつの間にか新たな自らを縛るルールになってしまった。そして、それを演奏する側もいつの間にか権威になってしまった。それはオーネット・コールマンか、ビートルズか、エリック・ドルフィーか、ルー・リードか、ジーザス&メリーチェインか、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインか、メルツバウか、インキャパシテンツか、それとも非常階段自身なのかわからないけれど、この日のJAZZBiS階段はルールの鎖を壊した。権威の壁も壊した。これは音楽史上に残る日だ。

 

また、ブログでは聴取側がノイズからメロディーやリズムを抽出・編纂する点について言及されている。僕はこの点については、おおよそそこで聴こえるのは記憶を参照していると捉えているのだけれど、僕がノイズやドローン、弱音を聴くときに面白いと想っている点は正にそこで、その視点・態度は「観察」やインスタレーションなどに対する「鑑賞」と言う感覚の方が近いのかもしれないと想っているのだけれど、いつの間にか特定の周波数帯が「浮かび上がって」きて、自分の耳がメロディやリズムを作成する。時には僕はそれを「見つけた!」と表現する事もあるのだけれど、やはりその感覚は一方的に届けられる音をそのまま飲み込むのではなく、受け手がどう捉えるかと言う視座に委ねられる音楽だからこそ見いだせる感覚なのだと想う。

 

そして僕は、また大袈裟なようだけど、そんな無限の要素が放射されたノイズから、リズムや旋律を聞き取ろうとするそのリスナーとしての態度は、無限に可能性がある未来から、自ら選択していくという我々のとるべき姿勢そのものであるように想うのだ。

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そんなノイズの事を想う。

 

それは時に激しく、破壊的なまでに獰猛で、何も寄せ付けないかのように冷徹で、時に優しく、全てを受け入れるように穏やかで、でも狂っていて、透明で、極彩色で、何も意味は無い。

 

でも僕は、何よりいつもそれを愛おしく、美しいと想う。

 

心ざわめきかき乱されながら、穏やかに惹かれる、まるでノイズみたいな、恋。

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この日の新宿ピットインではBiSの曲は一曲も欠片も演奏されていない。でも確かに「JAZZ非常階段とJAZZBiS階段のライヴ」だった。その事の意味を、なんとなく考えている。その理由は彼女達がファーストサマーウイカとして、ヒラノノゾミとしてステージに立ったからに他ならないのだろう。

 

じゃあ、彼女達がBiSではなくなったならば?

 

BiSであろうとする力と、BiSを打ち破ろうとする一見すると相反するような引き裂かれるような力の軋轢が、今の不思議な魅力の一つのように想う事がある。BiSから解放された彼女達を見てみたいと想う反面、その状態の方が伸び伸びやりたい事が出来るのであれば、じゃあ今は何なんだろう。やっぱり少し寂しい気がする。

 

だから僕は「BiSの解散後を考えるTV」が気に入らなかった。まずタイトルが気に入らない。解散後の事なんか考えて無いで、残り少ない今この時を後先考えないくらい全力で駆け抜けて欲しいと想っていた。本人達にしてみれば、なんと言う身勝手で迷惑極まりないヲタクの願望か。彼女達の人生はこれからも続くのだから、その後の事を考えるのは当然の事だ。

 

でも、もう少しシンプルな話なのかもしれない。僕はJOJO広重の感傷的な話を全部鵜呑みにはしないけれどw、それでもこれだけの事を実現して来た。そしてこの日のJAZZBiS階段が実現した事で、もう少しだけ、その「未来はまだ残っている、そんな気がします」と言う言葉を信じても良いのかもしれない、そう想えた。

 

未来の記憶の名を予感と呼ぶならば、例えそうだとしても、未来を決めるのは自分自身だ。だって、振り返ってくれたあの子の、花を渡した時の笑顔を見れたのだから。

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2013年の11月、四ツ谷での自家発電で、戸川純さんが「『新しい音楽なんてもうやりつくされた』なんて、30年前から同じ事を言われ続けている。でも今こうして、また一つ新しい音楽に出逢えた」と言って下さった事を思い出している。音楽ファンとして、これほど心強く、また音楽を信じて良いのだと想えた言葉は無かった。

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ディジリドゥ奏者のGOMAさんは2009年の交通事故の後遺症で、記憶に障害が残っている。今までの記憶もさることながら、少しずつは回復しているものの、新しい記憶が定着しにくい状態だ。2011年にリキッドルームでの復活ライヴの時の「もう泣かないって想ってたけど、この景色だけは…忘れたくないなぁ…」と涙ながらに振り絞った言葉を、景色を、僕は今でも克明に憶えている。でも彼が憶えているかは分からない。だから彼は日記を書いている。未来の自分に向かって自分が今日生きた証を届けるために。2011年に撮影されたドキュメンタリー映画「フラッシュバックメモリーズ」で映画の中の彼は未来の自分に呼びかける。「未来の僕へ。楽しんでますか?」と。その映画と共にライヴ演奏を行う企画「フラッシュバックメモリーズ4D」で演奏する今のGOMAさんへ、3年前の自分からのメッセージが届いた。そんな3年前のスクリーンの自分を見るGOMAさんの顔はきっと笑っていたのだと想う。


4/18大阪公演! フラッシュバックメモリーズ4Dライブ トレーラー - YouTube

↑ちょっとだけ僕のコメントも使われてます。

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嘘のようなホントの話をしよう。昔の僕に向けて。

 

2014年に新宿ピットインで、非常階段と大友良英さんと坂田明さんが、アイドルと共演する。そしてお前はそのアイドルの追っかけをやっている。

 

「音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。音楽家はただひたすら音を出すだけの無力な存在であるべきだ。*1

この大友良英さんの言葉を、音楽を、どんな時だってこれだけは決して折れない心の槍に掲げて、どれだけの出来事を、年月を共に過ごして来た事か。どれだけの夜と朝の隙間を超えてきた事か。

オーケストラ福島で、大友さんや遠藤ミチロウさん、坂本龍一さんたちと福島で一緒に演奏する事で、震災以降の自分のアティチュードにどれだけの影響を及ぼした事か。

 

そんな大友さんと、アイドルだぜ。でもそいつを通じて、お前は色んな出会いや出来事を経験する。沢山泣いたり、笑ったりする。

 

1995年には「満月の夕」を聴く事しか出来なかったお前は、

2001年にはRageAgainstTheMachineのラップを喚く事しか出来なかったお前は、

2011年からまたちょっとでも何か自分に出来ねぇかって思っても、結局また音楽を通して、大友さんを通して福島に行って、何故かそのアイドルを通して女川に足を運ぶ事にもなって、1995年のあの街の方に居たそのアイドルと一緒に「満月の夕」を聞いてるんだぜ。

 

そして、ピットインで迎えたこの夜が、音楽史も変えるような、お前の最高の夜になっちまうんだぜ。だから何が起こっても不思議じゃない。

 

世の中何が起こっても不思議じゃないんだ ソウルフラワーBiS階段出演「ボロフェスタ2013」レポート(宗像 明将) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

そう、だから、未来を信じても良いと想える日がくる。

そしてその事はとっくにもう知ってるハズだよ。

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最後に。

 

終演後少し大友さんとお話をさせて頂いた中で(←無銭ガッツキです…すいません…)、ふと大友さんが「そういえば藤村さん(3月に亡くなった新宿ピットインで長年勤められた音響技師)が居ないピットイン始めてかもしれないなぁ」と呟かれていた。改めてその事を想う。風雨に磨かれで、雨垂れに穿たれ、石が形作られるように、今の僕は貴方の放って来たそのいつも自然で優しいそのままの音によって形作られてきました。訪れる回数は以前程では無くなってしまったけれども、ええ、何の因果かアイドルの追っかけになってしまったからなので大変申し上げにくいところではあるのですが、それでも僕の人生の本現場はこの場所新宿ピットインです。この夏からはもう少し顔も出せるでしょう。改めて、合掌。

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(追記)

これをアップしようとした矢先に、BUBUKAのBiSに関する記事が話題になっていて、あまり言及するつもりは無かっただけど少しだけ。

 

僕自身は全く気にしていません。だって、未来を諦めなかった一人の女の子が、どれだけの勇気を持って再起して、どれだけの努力をして、輝く未来に手をかけるまでたどり着いたか、僕たちはとても近くで見てきたんだもの。そしてこれからも一緒に。もう揺るがないよ、そんなんじゃ。あの子も僕らも。

 

だから、これから先がどうなるかは分からないけど、みんなそれぞれ未来を信じて頑張って欲しいと想っています。

 

※本文中では文体に合わせて敬称略とさせていただいています。

*1:初出:「Studio Voice」Vol. 307、2001年7月号。特集"レヴォリューション・ポップ~音楽による政治解放宣言!" の巻頭文として。

リスニング・ポイントの爆心地〜耳を鍛えよ!(文:大友良英)