記憶喪失学

ヲタ活記録用。

まるでノイズみたいな恋に~2014/4/22「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」@新宿ピットイン~

嘘のようなホントの話をしよう。

 

夢を見た。意中の女性に花を贈ろうとするも、受け取ってもらえず振り向いてもらえないまま立ち去られた所で目が覚めた。もう滅多に夢も見なくなり、寝覚めの悪い自分にとってはずいぶんと珍しい事だ。よりにもよってこんな日の朝に。少し出来すぎた話のように想う。

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2014/4/22(火)の新宿ピットインでのJAZZ非常階段とJAZZBiS階段のライヴは、結論から言えば強烈で豊潤でノイズサウンドの振動による聴覚上の刺激、そして肌で感じる”手触り”の快楽、快感をひたすらに享受した「楽しい」ライヴであったし、それは「聴取」と言うより「体験」に近い時間であり、また予想をはるかに超えたパフォーマンスでありエンターテイメントだった。

そのサウンドは間違いなく丁々発止のジャズ・セッションであり、共鳴し、干渉しあうノイズミュージックそのものでありながら、最高峰のミュージシャン達とアイドルという異種格闘技戦としても、その空間で表現史上稀に見る異様なな化学反応が起こり続けている事を全感覚で感じられた大変貴重なライヴだった。

そして、「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ、またその固定観念の檻がその場で粉々に打ち砕かれ、ノイズの海に融けて行くのを体験した、開放的で清々しい気分の夜となった。

 

このライヴの前週に放送された「題名の無い音楽会」で大友良英さんが「ノイズとは何か。ひいては音楽とは何か。」と言う問いを発している。これは事あるごとに語られて来た、常に音楽が直面して居る問いだが、この日のライヴはその問いへの一つのアンサーを再確認させるものたり得たのではないか。ノイズ・ミュージック史に、そして音楽史に残るべき夜であった事を確信し、今、数ヶ月振りにブログの筆を取っている。

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約3ヶ月前にこの共演が発表された際の衝撃と興奮を抱えたまま、この日を待ちわびながら幾夜を越えてきた。

※過去ブログ参照 

「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」の実現に寄せて - 記憶喪失学

 

その想いが結実する日を迎え、期待と本当にそれが現実になるのかと言う不安、そしてその瞬間が過ぎ去ってしまう寂しさを、まだ始まってもいないのに携えて、新宿ピットインへと足を向けた。ピットインへ行くのは今年2月の坂田明さんと芳垣安洋さんの生誕ライヴ以来だったように思う。(サイリウム焚いたり生誕Tシャツ作ったりしてないですよ、念のため。)まさかその次に坂田さんの演奏を聴くのがBiSメンバーの共演となろうとは。。。

 

開場前に並んでいる人の数は、ピットインでは年に数回あるか無いかのレベルの混雑で今日のライヴへの注目の高さを伺わせた。最近ではあまちゃん関連のライヴ、僕が過去この会場で遭遇した中では菊地成孔山下洋輔の共演やONJOと同レベルの鮨詰め状態。しかしながら、BiSメンバーの出演と言うトピックが無ければ、恐らく集客は半分程度だったのでは無いかと思った。研究員には高い音楽の素養があったり、知識・造詣の深い諸兄が多いように思うが、あまりノイズに関わる事の無かった研究員にとって、BiS階段のお蔭でノイズに触れる機会はあったのだろうが、今日の演奏を聴いてどのような感想を抱くのか、少し興味が湧いた。会場内では上手のスピーカーの目の前に腰を下ろした。

 

どのような構成のライヴになるのか、事前のイメージでは前半はJAZZ非常階段としてBiSメンバー抜きで、後半からBiSメンバーを入れて演奏かな、等と考えていたが、早速その予想は覆され、冒頭からJOJO広重の口から「割と短い間隔で、メンバーを組み替えながらセッションしていく」と案内があった。これは面白い。次にどんな組み合わせのセッションとなるか全く予想がつかない楽しさがある。

 

ステージ上手には大友良英ギブソンのセミアコをレンチで引っ掻くいつものスタイルに、JOJO広重のSGを持つ姿とアンプが並び、2台のギターのノイズとフィードバックの海に飲み込まれる事になる。(上手最前に座っていた研究員の話では文字通りギターのサウンドを「浴び続けた」との事。)

下手は電子機器によるノイズ・セクション。T・美川と時には並び、ヒラノノゾミがここで機材を操作した。

中央にはJUNKOの(後にファーストサマーウイカも1曲使用)ヴォーカルマイクと坂田明のサックス・クラリネット用のマイク、後ろには岡野太のドラムセットが鎮座する。

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セットはY_Maruyama様(@DubTheWorld)のツイートより引用。(直接ご面識が無いので明記しておきます。)

 

第1部

1.JOJO広重、T.美川、大友良英

2.T.美川、ヒラノノゾミ

3.大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

4.JOJO広重ファーストサマーウイカ 

5.JOJO広重、JUNKO、ヒラノノゾミ 

6.坂田明、JUNKO

7.坂田明、T.美川、ファーストサマーウイカ 

8.坂田明、岡野太

 

 

第1部-1.JOJO広重、T.美川、大友良英

 

JOJO広重の紹介でメンバーが登場する。最初はJOJO広重、T.美川、大友良英の3人による演奏。いきなり容赦ないヒストリックで凶暴なノイズが撒き散らされる。ギターの金属音とフィードバックに電子音が鼓膜と身体を打つ。自分の席はスピーカー・ウーハーの目の前だったのでその振動は、比喩ではなくもはや物理的にマッサージとして成立するレベルである。ノイズは肩こりに効く。

 

第1部-2.T.美川、ヒラノノゾミ

 

続いて、早くもT.美川とヒラノノゾミの師弟共演。今までのBiS階段でのセッション同様、彼女が操作しているのはAirSynthが多かったように思う。これは手を近づけると赤外線センサーでその距離とベクトルを検知し音が変わる機材で、慣れればある程度音程を取ってフレーズを演奏することも可能だが、特に演奏技術を必要とするものでもないし、彼女のその直感的な感覚を表現するにはピッタリだったように思う。あと、使ってても見てても面白い、というのもライヴでは重要な要素。しかし寡聞にして自分以外にほとんど使い手を見た事の無い機材を、目の前でのぞしゃんがいじっている様を見るのは単純に何か嬉しいしアガるものである。「あ!プリセットの何番の音だ!」などと聴きながら想うのも中々乙なものである。

その耳をつんざく電子ノイズサウンドと、のぞしゃんのほんわかした佇まいの異様さが、正にノイズとして干渉し合うかのような、不思議で強烈なセットだった。

 

第1部-3.大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

3番手には大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ。自分の最も敬愛する音楽家の一人であり、音楽観は勿論、震災以降の自分のアティチュードに最も深く根ざしている活動家と、愛しの推しが共演するのだ。しかも我がホームたる新宿ピットインで。その思いたるや、感無量と言う他ない。この日のファーストサマーウイカは、以前水曜日のカンパネラのイベントで鹿を解体した際にも(いずこねこのキネマ倶楽部ワンマン行ってて見れませんでした…ゴメンなさい…)着用したと言う黒いドレスにカチューシャ、目の周りを黒く塗って軽いアングラモードと言った装い。麗しい。

 

そのファーストコンタクトは、やはりBiSメンバーには緊張が見られたように想う。キャリア・その場で鳴らされるサウンド共に間違い無く世界最高峰のミュージシャン相手なのだから当然である。この時点でははまだ様子を探っている、大友とヒラノノゾミの発する「場」のサウンドを、そして大友を「観察」している印象だった。

 

しかしながら、全く体格もプレイも異なる岡野太のキット・セッティングで良くもあそこまでドラムを演奏出来るものであると毎度ながら感心する。何度かプレイしているので、少しでも慣れはあるのかもしれないが、それにしてもハイピッチなチューニングのキットに恐らく慣れないであろうツインペダルのセットで、なかなかセッションですぐに出来るものでは無い。勿論ドラムに関してブランクがあるのは本人も語る通りであろうし、このあとに出てくる岡野太の爆裂なプレイと比較するのは酷と言うものである。岡野太のレギュラーグリップで居ながらグリップエンドを持ってのしなやかなショットから放たれる粒立ちの良いサウンドは本当に素晴らしい。ここで彼女が意識した上の結果かは知るよしも無いが、特に音量のコントロールや、プレイの節々に当然アラも伺える。しかし、そのアラやロックビートに転じた際の思い切りの良いプレイの気持ちよさの振り幅が、このセットでは逆に魅力的に機能していたように感じた。

 

ただしこの「何度かこのキットとメンバーでプレイしている」と言うのがポイントであると僕は想っていた。フリージャズ・フリーインプロビゼーションは、既存の音楽におけるルールである調声や和声、楽理、リズム等々の要素から離脱すると言う考え方に端を発するが、逆に「逸脱する」と言うルールに捕らわれて、妙に”「こうすれば普通ではないだろう」と言う慣れ”に陥ってしまいがちなものでもあるだからだ。このような演奏経験が恐らくは無かったであろう彼女が、数回のセッションを経て、ノイズ・ミュージックをプレイする事に”慣れ”てしまっていないかと、3月の姫路でのBiS階段以降、実は仄かな不安を頂いていたのだ。

 

この先の後半で、そんな不安を粉々に打ち砕くかのように、ファーストサマーウイカが攻めのアプローチに転じる瞬間を目の当たりにする事になるのだが、この時点ではまだ様子見で、その予兆を僕は感じ取れずにいた。

 

第1部-4.JOJO広重ファーストサマーウイカ 

 

ドラムプレイに引き続き、「この1曲だけ」と言う紹介でファーストサマーウイカがマイクを取り、JOJO広重と二人でステージのフロントに立つ。2013年12月の初台ドアーズでの頭脳警察のライヴでも披露した「さようなら世界夫人よ」である。

このセットはただその堂々とした姿と歌声、オーラに圧倒され息を呑むばかり。演劇・アングラ方面が出自であるファーストサマーウイカとの親和性は抜群で、様々な引き出しを持つ彼女をして、一つの真骨頂だったと言って良いだろう。JOJO広重のノイズと呼応するばかりか、そのノイズと歌声を引き出していたようにすら想う。

僕はJOJO広重と「歌」を想う時、4年前原美術館で見た彼と穂高亜希子さんの演奏と歌を忘れる事が出来ない。堪えても抑えきれず、うめき声のように、振り絞るように歌われた「歌」。

そんな場面すら想起させる、圧巻のセットだった。つくづくとんでもない女性を推しに見初めてしまったものだと想う。「なんでこのねーちゃん、BiSなんてやってるんだ?」とまぁ。

 

第1部-~ラスト

 

このあともセッションは続き、JOJO広重から「のんちゃんを養子にしたい」と言う発言もあった中、白眉だったのは坂田明クラリネットとJUNKOのハイトーンヴォイスによるセットだった。

双方ハイトーンを発し続けるのだが、耳の真横にあるスピーカーから放たれる高周波が、耳の周りで次第にフェイジングして、聴こえる「位置」が少しずつ変わって行きながら回転し続ける感覚。そして、次第にその空気と共に耳そのものが熱くなっていくのを覚えた。ノイズサウンドの特定の周波数帯をピックアップして沸騰させた際の新たな感覚。まだ、新しいフィジカルな感覚を音楽が与えてくれる事に感激した演奏だった。

 

ここで休憩を挟む事がアナウンスされる。休憩の存在に戸惑う客が多い事に、やはり今日はBiS目当てで始めて来た研究員が多いのだな、と実感する。第1部だけでもその点に関するトピックが幾つかあった。まず、そもそも開場直後からしてダッシュで席を確保し、推しが見やすい席との交渉が発生していた時点で、そんな光景を僕はピットインで観た事が無い。また、ライヴ中も一見岡野太に似た長髪の研究員がひたすらその髪を振り乱しながら頭を振っていたし(彼はファーストサマーウイカから大友良英への「BiS階段解散ライヴ来てくれるかなー?」と言うフリに、客席から「おおともー!」とガヤを入れ、大友から「うるせー!w誰だよお前!w」とツッコミを受けていた。)、また関西弁にも関わらず、彫りが深く一見イタリアン・マフィアのようにも見える研究員と思われる男性が「ウイカー!ほんまエエ女やぁあ!!!ウイカーぁああ!!」と叫び続けるシーンもあり、老舗ジャズ倶楽部たる新宿ピットインとアイドルヲタクの中でも極北に位置する研究員の化学反応も、ステージ上同様予想がつかないものとなっていたのだ。

 

この時点での僕の感想はこの一言だった。一体後半はどうなってしまうのか...

 

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第2部

1.JOJO広重大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

2.T.美川、大友良英、岡野太

3.坂田明大友良英、JUNKO、岡野太

4.JOJO広重、T.美川、坂田明大友良英、JUNKO、岡野太、ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

第2部-1.JOJO広重大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ

ノイズの海・洪水の中でどう存在すべきか、戸惑いながらも音を出し続けるヒラノノゾミ。圧倒的な「量」(それは質量でもあり情報量でもあり感情量でもある)を放射する重鎮。そんなこのセットから、ファーストサマーウイカは「観察者」でありながらも、ついにアプローチに転じたように見えた。それはテクニックやノイズ・JAZZの経験と言う土俵では無く、自分で考えて出来ることをやろうと言う開き直りだったのかもしれない。僕が語るのもおこがましく憚られるのだけれど、彼女は物凄く勘が良い女性なのだと想う。それは生まれ持ったものや野生とは違い、彼女自身の経験や身につけたものを総動員して、兎に角圧倒的な速度で思考して行動を導き出す。経験則と言っても良いが、物凄く物凄く突き詰めて考えているのだけれど、それはもはや「勘」と言って良い反射速度であるからだ。その演奏のさなか、リズムを回避しようと言う意識が感じられる運動だったところから、シャッフルビートを提示しはじめ(ウイカなりの4ビート)、それに大友良英が感応し、リズムを刻み始める。音楽家同士の音の対話がそこにはあった。ノイズと言う本来言語体系を成さないハズのサウンドでの意思疎通。

 

この瞬間が、冒頭に述べた「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ「ノイズ、フリーインプロビゼーションかくあるべし」と言う、本来のその音楽の成り立ちや意匠と矛盾する固定観念に、いつの間にか自分自身が捕らわれていた事に気がつかされ、またその固定観念の檻がその場で粉々に打ち砕かれ、ノイズの海に融けて行くのを体験した瞬間だった。

 

この淙々たるメンバーの中での演奏としてはたどたどしかったかも知れない。でも、気取るのを止めた(ように想えた)BiSメンバーの演奏は、思いっきり楽しもうと言う意思によって鳴らされ、「ルールから逸脱しなくてはいけない」「奇をてらってハチャメチャでなくてはいけない」、そんな手段と目的がすり替わってしまった制約に捕らわれなくても良いのだと、気がつかされた気がしたのだ。フリージャズはそれに捕らわれた時代があった。そしてそれは…まるでどこかの破天荒アイドルグループで聞いたような話だ。なんてのはまた少し出来すぎた話だろうか。

 

ファーストサマーウイカはここからのぞしゃんをドラムセットへ誘導し、自らはノイズ・マシーンを操り、マイクでJUNKOばりの金切り声を上げるなど、縦横無尽にパフォーマンスを繰り広げる。これほどまでに観客を楽しませるステージングが、今までノイズ・ミュージックにあっただろうか。今この瞬間、間違い無く自分が他では得難い経験をしている事を実感しながら、ステージへ向けた全ての感覚を離せないでいた。

 

第2部-~ラスト

 

そんな異様な覚醒感・万能感を携えたまま、本編は全員がステージに登場しての最後のセッションを迎える。ドラムセットには岡野太が座り、ファーストサマーウイカはタンバリンを持って鳴らしたり、シンバルを叩いたりする。2台ギター、ノイズマシン/エフェクター、ドラム、ヴォイス、サックスが総動員され、この日最大量のノイズが放たれる中、客席も呼応して雄叫びが上がり、拳が突き上げられる。更に狂熱はエスカレートし、遂には、恐らくピットイン史上初めての事態と思われるが、研究員が薄緑色のサイリウムを焚いてステージに向け振り回す状況までが勃発したのだ。その只中へタンバリンを持って客席通路をファーストサマーウイカが練り歩く。祭りだ。もはやノイズ祭りと化したピットインは世界に名だたるミュージシャンとアイドルグループとそのヲタクがサイリウムを振り回して喚き散らす、正に混沌のノイズの燃え上がる海と化して、その本編の幕を下ろした。心に湧き上がる「人生は祭りだ!共に生きよう!」と言うソウルフラワーユニオン中川敬の言葉とともに、その火は心に燻ったまま。

 

 

アンコール

JOJO広重,、T.美川、坂田明大友良英ヒラノノゾミファーストサマーウイカ 

 

止まらないアンコールに出演者がすぐに応えて登場し、最後のセットが演奏された。せめぎ合い、緊張感をキープしながらも、この日の演奏を通じて、何処か気心しれた仲になったような、そんな激しさの中に穏やかな気持ちすら感じた演奏だった。

 

しかし、やはり緊張していたのだろう。遠慮もあったのだろう。途中も最後のMCも、いつものようなあまりにハチャメチャな話は無く、挨拶のあとで客席に背を向けた。それが分かっていながら、気持ちを伝えたいと言う身勝手な想いと分かったまま、ファーストサマーウイカを呼び止めた。振り向いてもらえない、そんな夢が頭をよぎりながら。それでも、振り向いてくれた彼女の顔は、やはりホッとして気が少し緩んだ表情に見えた。そんな彼女に花束を渡しながら言えたのは「ピットイン出演おめでとう。本当に素晴らしくて、本当に素敵だった。」と言う一言だけだ。それ以上も以下も要らなかった。あんな状況で呼び止めてゴメンね。本当にお疲れ様でした。

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ここでファーストサマーウイカのブログを引用する。

BiS ファーストサマーウイカ オフィシャルブログ「ファーストサマーウイカの有為転変ブログ」Powered by Ameba

 

(正直、あまりにこの文章が素晴らしく、言いたかった事がほとんど簡潔で分かりやすく彼女自身の素敵な言葉で綴られていたので、自分がブログを公開する意味はもはや無いと思いつつも。)

 

>ドラムでノイズを表現するのが本当に難しかった。

>叩けば音が鳴ってしまうからです。

>刻めばリズムに聴こえてしまうからです。

>うるさくても適当にガチャガチャやってもノイズにならないのです。

 

このくだりはなんとソリッドな気付きだろうか。テーマとして、あらゆるインプロヴァイズ・ドラマーにインタビューしたい問いである。音と音の「隙間」を、「間隔」を演奏する楽器でもあり、ギターノイズのようにロング・サスティーンが無い打楽器・ドラムにおいて、ノイズをどう表現するのか。岡野太とドラマー会談をしたとの文を読んだ記憶があるが、そんな話をしたのだろうか。興味はつきない。

 

そして、構築と脱構築。調声と無調声。常識とそれから逸脱した非常識。創造が無くば破壊は無い。それら相反するように見える要素は、常にその互いを内包している。型を修めたものでなければ「型破り」にはなりえないのだ。ルールは自分を縛るものでは無く、社会の中で自分を守ってくれるものだし、「自由」ほど孤独な事は無い。「自由」ほど恐ろしい事は無い。全て自分だけで何かを決めて成さなければならないなんて。だから、それは認めなくちゃいけない。破壊だけを望む事は、最初から破綻している。

 

調声から、旋律から、旋法から、コードから、メロディーから、リズムから、音韻から、イディオムから、クリシェから脱却する方法論としてのフリー・ジャズ、ノイズ、フリー・インプロヴィゼーション。それらに縛られないと言う思いだけがいつの間にか新たな自らを縛るルールになってしまった。そして、それを演奏する側もいつの間にか権威になってしまった。それはオーネット・コールマンか、ビートルズか、エリック・ドルフィーか、ルー・リードか、ジーザス&メリーチェインか、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインか、メルツバウか、インキャパシテンツか、それとも非常階段自身なのかわからないけれど、この日のJAZZBiS階段はルールの鎖を壊した。権威の壁も壊した。これは音楽史上に残る日だ。

 

また、ブログでは聴取側がノイズからメロディーやリズムを抽出・編纂する点について言及されている。僕はこの点については、おおよそそこで聴こえるのは記憶を参照していると捉えているのだけれど、僕がノイズやドローン、弱音を聴くときに面白いと想っている点は正にそこで、その視点・態度は「観察」やインスタレーションなどに対する「鑑賞」と言う感覚の方が近いのかもしれないと想っているのだけれど、いつの間にか特定の周波数帯が「浮かび上がって」きて、自分の耳がメロディやリズムを作成する。時には僕はそれを「見つけた!」と表現する事もあるのだけれど、やはりその感覚は一方的に届けられる音をそのまま飲み込むのではなく、受け手がどう捉えるかと言う視座に委ねられる音楽だからこそ見いだせる感覚なのだと想う。

 

そして僕は、また大袈裟なようだけど、そんな無限の要素が放射されたノイズから、リズムや旋律を聞き取ろうとするそのリスナーとしての態度は、無限に可能性がある未来から、自ら選択していくという我々のとるべき姿勢そのものであるように想うのだ。

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そんなノイズの事を想う。

 

それは時に激しく、破壊的なまでに獰猛で、何も寄せ付けないかのように冷徹で、時に優しく、全てを受け入れるように穏やかで、でも狂っていて、透明で、極彩色で、何も意味は無い。

 

でも僕は、何よりいつもそれを愛おしく、美しいと想う。

 

心ざわめきかき乱されながら、穏やかに惹かれる、まるでノイズみたいな、恋。

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この日の新宿ピットインではBiSの曲は一曲も欠片も演奏されていない。でも確かに「JAZZ非常階段とJAZZBiS階段のライヴ」だった。その事の意味を、なんとなく考えている。その理由は彼女達がファーストサマーウイカとして、ヒラノノゾミとしてステージに立ったからに他ならないのだろう。

 

じゃあ、彼女達がBiSではなくなったならば?

 

BiSであろうとする力と、BiSを打ち破ろうとする一見すると相反するような引き裂かれるような力の軋轢が、今の不思議な魅力の一つのように想う事がある。BiSから解放された彼女達を見てみたいと想う反面、その状態の方が伸び伸びやりたい事が出来るのであれば、じゃあ今は何なんだろう。やっぱり少し寂しい気がする。

 

だから僕は「BiSの解散後を考えるTV」が気に入らなかった。まずタイトルが気に入らない。解散後の事なんか考えて無いで、残り少ない今この時を後先考えないくらい全力で駆け抜けて欲しいと想っていた。本人達にしてみれば、なんと言う身勝手で迷惑極まりないヲタクの願望か。彼女達の人生はこれからも続くのだから、その後の事を考えるのは当然の事だ。

 

でも、もう少しシンプルな話なのかもしれない。僕はJOJO広重の感傷的な話を全部鵜呑みにはしないけれどw、それでもこれだけの事を実現して来た。そしてこの日のJAZZBiS階段が実現した事で、もう少しだけ、その「未来はまだ残っている、そんな気がします」と言う言葉を信じても良いのかもしれない、そう想えた。

 

未来の記憶の名を予感と呼ぶならば、例えそうだとしても、未来を決めるのは自分自身だ。だって、振り返ってくれたあの子の、花を渡した時の笑顔を見れたのだから。

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2013年の11月、四ツ谷での自家発電で、戸川純さんが「『新しい音楽なんてもうやりつくされた』なんて、30年前から同じ事を言われ続けている。でも今こうして、また一つ新しい音楽に出逢えた」と言って下さった事を思い出している。音楽ファンとして、これほど心強く、また音楽を信じて良いのだと想えた言葉は無かった。

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ディジリドゥ奏者のGOMAさんは2009年の交通事故の後遺症で、記憶に障害が残っている。今までの記憶もさることながら、少しずつは回復しているものの、新しい記憶が定着しにくい状態だ。2011年にリキッドルームでの復活ライヴの時の「もう泣かないって想ってたけど、この景色だけは…忘れたくないなぁ…」と涙ながらに振り絞った言葉を、景色を、僕は今でも克明に憶えている。でも彼が憶えているかは分からない。だから彼は日記を書いている。未来の自分に向かって自分が今日生きた証を届けるために。2011年に撮影されたドキュメンタリー映画「フラッシュバックメモリーズ」で映画の中の彼は未来の自分に呼びかける。「未来の僕へ。楽しんでますか?」と。その映画と共にライヴ演奏を行う企画「フラッシュバックメモリーズ4D」で演奏する今のGOMAさんへ、3年前の自分からのメッセージが届いた。そんな3年前のスクリーンの自分を見るGOMAさんの顔はきっと笑っていたのだと想う。


4/18大阪公演! フラッシュバックメモリーズ4Dライブ トレーラー - YouTube

↑ちょっとだけ僕のコメントも使われてます。

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嘘のようなホントの話をしよう。昔の僕に向けて。

 

2014年に新宿ピットインで、非常階段と大友良英さんと坂田明さんが、アイドルと共演する。そしてお前はそのアイドルの追っかけをやっている。

 

「音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。音楽家はただひたすら音を出すだけの無力な存在であるべきだ。*1

この大友良英さんの言葉を、音楽を、どんな時だってこれだけは決して折れない心の槍に掲げて、どれだけの出来事を、年月を共に過ごして来た事か。どれだけの夜と朝の隙間を超えてきた事か。

オーケストラ福島で、大友さんや遠藤ミチロウさん、坂本龍一さんたちと福島で一緒に演奏する事で、震災以降の自分のアティチュードにどれだけの影響を及ぼした事か。

 

そんな大友さんと、アイドルだぜ。でもそいつを通じて、お前は色んな出会いや出来事を経験する。沢山泣いたり、笑ったりする。

 

1995年には「満月の夕」を聴く事しか出来なかったお前は、

2001年にはRageAgainstTheMachineのラップを喚く事しか出来なかったお前は、

2011年からまたちょっとでも何か自分に出来ねぇかって思っても、結局また音楽を通して、大友さんを通して福島に行って、何故かそのアイドルを通して女川に足を運ぶ事にもなって、1995年のあの街の方に居たそのアイドルと一緒に「満月の夕」を聞いてるんだぜ。

 

そして、ピットインで迎えたこの夜が、音楽史も変えるような、お前の最高の夜になっちまうんだぜ。だから何が起こっても不思議じゃない。

 

世の中何が起こっても不思議じゃないんだ ソウルフラワーBiS階段出演「ボロフェスタ2013」レポート(宗像 明将) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

そう、だから、未来を信じても良いと想える日がくる。

そしてその事はとっくにもう知ってるハズだよ。

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最後に。

 

終演後少し大友さんとお話をさせて頂いた中で(←無銭ガッツキです…すいません…)、ふと大友さんが「そういえば藤村さん(3月に亡くなった新宿ピットインで長年勤められた音響技師)が居ないピットイン始めてかもしれないなぁ」と呟かれていた。改めてその事を想う。風雨に磨かれで、雨垂れに穿たれ、石が形作られるように、今の僕は貴方の放って来たそのいつも自然で優しいそのままの音によって形作られてきました。訪れる回数は以前程では無くなってしまったけれども、ええ、何の因果かアイドルの追っかけになってしまったからなので大変申し上げにくいところではあるのですが、それでも僕の人生の本現場はこの場所新宿ピットインです。この夏からはもう少し顔も出せるでしょう。改めて、合掌。

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(追記)

これをアップしようとした矢先に、BUBUKAのBiSに関する記事が話題になっていて、あまり言及するつもりは無かっただけど少しだけ。

 

僕自身は全く気にしていません。だって、未来を諦めなかった一人の女の子が、どれだけの勇気を持って再起して、どれだけの努力をして、輝く未来に手をかけるまでたどり着いたか、僕たちはとても近くで見てきたんだもの。そしてこれからも一緒に。もう揺るがないよ、そんなんじゃ。あの子も僕らも。

 

だから、これから先がどうなるかは分からないけど、みんなそれぞれ未来を信じて頑張って欲しいと想っています。

 

※本文中では文体に合わせて敬称略とさせていただいています。

*1:初出:「Studio Voice」Vol. 307、2001年7月号。特集"レヴォリューション・ポップ~音楽による政治解放宣言!" の巻頭文として。

リスニング・ポイントの爆心地〜耳を鍛えよ!(文:大友良英)

迎撃前夜~BiSツアー最終日を迎えるにあたり/ツアー1日目静岡まで~

前節

BiSツアー「BiS after all」の日記を日々つづっている研究員の皆さんを見習って、ライヴ毎にブログを書こうと思っていたのですが、全く公開しないまま、ツアー最終日を迎えてしまいましたwそもそも、2月のツアー開始までに、今までのBiSと僕との足跡を振り返り、今に追いついてツアーに臨む、と言うプランを考えていたものの、始まりすらする前に開幕を迎えてしまったので如何ともし難いのですが(--;)

このツアーでは、映像班は帯同しているものの、取材メディアは時たま顔をのぞかせる程度で(そんな事は当然でこんな日程のツアーに貼り付ける人なんてそう居ない)、ですからツアーの全てをカメラではなく、人間を通して記録できるのは、やはり研究員しかいないと考えると、大変ブログでのレポートは価値があるものだと思います。

しかし、日々下書きを重ねながら、何故ここまで公開しなかったかと言うと、皆さんの「何があったか」が非常に分かりやすい文章に比べて、僕の文章は脱線を重ねながら結局厨二的に「自分」と「また、自分とメンバーの関係性」ばかりを書きすぎていて、そんな物を公開する意味があるのかと思っていたからです。また、あまりに勝手な言い分に、メンバーや研究員さんに不快な思いをさせない配慮が出来るかと言う不安もありました。しかしながら結局自分と言うフィルターを通して感想を書く以上、自分の事になるのも仕方ないし、商業的な文章なわけでもないのであまり読み手には親切な文章には成り得ませんが、好き勝手に書き綴ろうかと想い公開する事にしました。

また、ツアー終了後の2/12には一度は見送られた重大発表のリベンジのような企画があるため、今のうちに書いておかないと、多分また書けなくなるかなぁw、と言う想いもあります。


僕はBiSの音楽・ライヴが好きな事は勿論ですが、ハマっている要素の大きな一因として、(いつも結果として)異常なまでにドラマチックになってしまうストーリーとメンバーとの関係性に惹かれてここまで入れ込んで居るのだと思っています。何処までも僕は所詮傍観者でしかないし、そうありたいと願うのだけれど、こんなにも良くも悪くもメンバーや運営、そしてファン達と近い関係を感じた経験が無い自分は、ふと、何者でも無い自分が、このストーリーの登場人物の1人であるかのような錯覚に酔っているのかもしれない、と薄っすら気が付いて、気が付かないフリをしながら、また現場に足を運んで、こうして旅を続けています。

何者でも無い自分。

■BiS / "primal.2(Special Edit)"

http://www.youtube.com/watch?v=118rrEyEhTw

そんな「持たざる者」の足掻きを、もし彼女達に重ねているのだとすればそれほど安っぽい話は無い。その内総括(最近コロコロ主義主張が転倒するので、その無意味さに辟易するのだけれど)しますが、僕がBiSを通して感じている通奏低音のように鳴り響き続けている感覚は、今も何処かで演奏され続けているジョン・ケージの作品のような感覚は、2010年代を象徴するような空虚さと、残酷なまでの敗北感です。(あくまで様々な想いの一つです。)1stアルバムの一曲目のプー・ルイさんのあの抑揚のないボーカルが聴こえた瞬間に、常々繰り返し主張しているように、「これは2010年代を代表するアルバムだ」と直感しました。それはそのクオリティの高さは語るまでも無いのですが、間違いなく僕が感じたのは「空虚さ」だったのです。「空虚さ」と現場の「熱量」。この相反する要素が同居している理由を、「空虚さを振り払うかのようにガムシャラに馬鹿騒ぎして頑張っている」なんて分かりやすく詰まらない説明に片付ける事は僕には出来ません。そして、敗北感とは、こんなにも頑張ってるのに、この子達があまり報われてる気がしないもの悲しさなのかも知れません。(その敗北感の頂点は、勿論2013/5/26のBiS4直後でしたが、この話は別筆に譲ります)

このそこそこ議論のネタになっているprimal.2ですが、最初は「仕掛けとしてはダダ滑り、作品としては好き」という程度の感想だったのですが、上記のキタヤさんのツイートを見て以来、変な角度で精神的に刺さってしまい、実はこの事を思うと泣き出してしまいそうなほど精神が不安定で瓦解しそうな状況にあります。

僕を、この回顧厨の権化で、化身で、亡霊で動く屍のようだった僕を、先に進もうとする人達を自分の中に閉じ込めて、過去の鎖で縛って、足首を掴んで何処にも行かせまいとしていたようなこの僕すらを、もう一度本気にさせてくれたBiSは、絶対に特別であって欲しい。何者でも無い自分にとっての、何者かであって欲しい。そう想うからでしょうか。

まぁそういう観点もさもありなん(゜_゜)ウイぽん(妹)可愛過ぎんねんて。ベッドでその笑顔誰に向けてんねんて。

 

...東北を巡る旅はどうしても自身のルーツと震災を重ねる旅になりますが、これから綴られるのはそんなアイドル鑑賞が趣味の31歳独身男性のロードムービーです。

※ここからは連日のメモ書きに、記載時点での視点を若干加筆・修正した内容になります。

2月1日(土)

不安。

不安しかない。不安で仕方が無い。

ウイカさんからレスをもらえるだろうか。接触でちゃんと対応してもらえるだろうか。しつこくて病んでて気持ち悪いとか想われて嫌われていないだろうか。(そりゃ気持ち悪いよ、ヲタだもの。)

前日のACOの素晴らしいo-eastでのライヴ(ベース:中尾憲太郎、ドラム:toeの樫倉さんとか最高さしか無かった)からの帰りからずっとそればかり考え、準備もロクに進まず、全然眠れず、結局交通費を節約しようと予定していた電車をまんまと逃して結局新幹線で静岡に向かう、と言うなんとも幸先の良い旅のスタート。先が思いやられます。

実はこのツアー2月編については、会社の連続休暇制度をあてがい、仕事の引継ぎもなんとかして、スケジュールは押さえられたのですが(その分1月は地獄だった。。。)前日昼の段階で静岡公演のチケットは押さえられておらず、全通は無理かなーと諦めていたのですが、前日昼に譲って下さる地元静岡の研究員さんが見つかり、チケットが確保出来た、と言う綱渡りながら人のご縁に助けられた開幕だったのでした。

以前「アトムス・フォー・ピースのチケット譲ります」と言うツイートを確かとしまるさんが拡散されていて、それを見て連絡してチケットを譲って頂いた方が、「そーいえば、静岡探してたけど、譲りますって人を見ましたよ」と教えて頂いて何とかありついた、と言う経緯。なんとも不思議なご縁でしたが、感謝しかありません。

 

新幹線での道中、今のBiSのライヴパフォーマンスに関して考えていたのですが、1月後半のSTUPiGリリースイベント最終日の新宿LOFTでのライヴが、ツアーに向けてのアゲアゲで戦闘モードで行く意思が感じられる凄まじい気合が入ったものだったので、その点は期待しかありませんでした。あのライヴの時点で、もはや少なくとも戦闘力・攻撃力と言う観点でのスペックは、今の6人の状態が過去最強ではないかと自分自身ほぼ認めていました。プー・ルイさんのリーダーとしての安心感、のぞしゃんはハモりという当代のアイドルでは右に出るものはいない武器を持ちながら、「キレる」と言う新たなブースターまで手にし、髪を切って可愛くなって、現在無双状態、ウイカさんの絶対的なエースとしての存在感と求心力(レス下さい)、サキちゃんの切り込み隊長としての突破力と時にはウイカさんとダンスでのツートップを張る時の壮観さ、そして、完全に爆弾としての見るものを「なんじゃこりゃ!?」と思わせるテンテンコさんの見た目と歌声の破壊力。

この状態で10/16の僕の誕生日に同じ場所で5人のパフォーマンスを見て、僕はこの気合と迫力はゴチャゴチャ言って見ないのは勿体無いと思い、ウイカさん推しを宣言しました。

そこにコショージが加入したワケですが、しばらくは「何でこの人は居るんだろうか?ミッチェル脱退からの一瞬のあの気合が入った状態に戻らないかなぁ」と思っていました(加入後一ヶ月くらいは僕はコショージの歌声がぜんぜん聞こえず、ほぼステージ上で彼女のことを認識出来ていませんでした。)。それが今やなんだかんだ言われつつ、立ち位置は相変わらずおぼつかずダンスも危なっかしいですが、とても良い声で歌っていますし(しかもまだまだ向上の余地あります)、見た目はアクセントになって悪くないし、何より殴られキャラと言う謎のキャラが確立した事により、いつの間にか今のムードを作り出す中心的な存在となっている。(最近のインタビューを読んでると、実は記事の大半は彼女の話であることに気がつきます)こんなに殴りやすくてボコボコにしやすいサンドバックのようなアイドルがかつて居たでしょうか?「今ボコれるアイドル、サンドバック担当」。

「コショージをボコボコにする」。その想いが同じ方向を向いているから、今までに無いBiSの一体感が生み出されているのは事実のような気がします。天津飯だって、ピッコロだって、べジータだって、共通の敵・目的があったからこそ団結して仲間になっていった。そう考えると、本当に「金髪ショートだったから」と言う理由だけでオーディションを通過してしまった彼女の加入は「最終兵器(リーサルウェポン)」の投入だったのだと、今になって思います。いつだってBiSは「結果的」になんですよね。

決して馴れ合いの仲良しこよしなワケでは無い。でも同じ方向を向いている、とても良い状態でツアーの開幕を迎えられる、そんな予感を感じながら、静岡に降り立ちました。

 

静岡に着くと、結局知った顔が沢山。ライヴハウスの近くに取ったホテルも10人以上知り合いが泊まる「BiS研究員ご一行様」状態にw明らかに12月の11人と言う全通人数より2月全通者が多い気配。どうも30人前後居そうだとの事なのですが、冷静に考えてキャパ300人前後のライヴハウスを回るのに、2月の北陸~東北と言う過酷で過密な日程のツアーをキャパの1/10の人間が全通するとかおかしいだろ…(゜_゜)そろそろ「だって研究員だから頭おかしいでしょ」で片付けるには度を越してる気がしてきましたw

この「知った顔が沢山」という状況は実はなかなか感慨深いものがありました。

何もかもが変わって行く。でもそれを受け入れられて来たのかな。だからウイカさんにも受け入れて欲しいなぁ…レスが欲しいなぁ…

そんな想いで臨んだ静岡公演。

 

会場のSunashはステージが低く、正直見にくかったので、上手スピーカー前から鋭角にステージを見る形に。天井も低く、常時空気が薄い上に熱気・湿気が篭って床が濡れてしまって、メンバーさんは大変そうでした。

一曲目は「ODD FUTURE」。

発表時には「Hide out cut」路線を狙い過ぎ、との評もあり、自分も少しそう思っていたクチだったのですが、1月のHMVスタンプラリー最終地点の新宿駅屋上でライヴでの初披露を見て以来、今は全くそんな風には思っていません。ノスタルジーに過ぎる、またエモさの螺旋に取り込まれてしまいそうになりながら、それすらも今しか感じられない想いならば受け入れて一緒に居たい。同じ痛みを、切なさを、傷を。どんな未来が待っていようと。このツアーでこの曲がどう育って、ツアーの後で聞いた時に僕はどう感じるのだろうか。そんな楽しみさすらうっすらと。ウイカさんの伸び伸びとした気持ちの入った歌と(パートが多くて大変そうですが…)、うねりまくるベースが凄まじい、大好きな曲です。

二丁ハロさんの振り付けのこの曲は、またもやノスタル厨ほいほいのストーリー仕立てで、分かっていても感傷的になってしまう、忙しいけれど素敵なものです。ただ、いかんせんコショージが寝てると、ステージが低いと全く見えないのが難点。これは他の二丁ハロさんの振りにも言えると思います(Hide out cutの落ちサビで歌っているコショージがしゃがんでいる、DiEは蘇生パートでメンバーが寝ている(ヲタはリフトされてあんなに見易い状態でキスしてるのに))。他にもビシミュで歌ってるコショージがしゃがみっぱなしとか、「見易さ」って観点は中々意識されないのかなぁなんて思っています。ただでさえテンコちゃんちっちゃくて見えないんだから…

また、序盤で「GMYL全部」も投入。コレがあると無いとではその日の高まりが全然違う。また、最近では割と珍しい「Ash」「gugigi」も。セットリストは毎日色々仕込んでくれそうな予感がして楽しみになりました。

レスに関してはprimal.落ちサビで上げてもらったものの、前へ突進する勢いがつきすぎて、ステージが低い事もあり、ウイカさんの正面から目の前に手を突き出す感じになってしまい、驚かせてしまいました…危険な事にもなりかねず、本当に申し訳無い思いでいっぱいで、すぐに横に逸れて下ろしてもらいました…それ以降、このツアーでは周囲とステージとの距離に細心の注意を払います…

と言ったトピック、ステージが低くて見にくかった事、スピーカー前でサウンドはイマイチだった事、マイクが度々飛んでいた事など、すべてがクリアだったワケではありませんが、開幕前の期待通り、気合の入ったステージを見ることが出来たと思います。

終演後はすぐ近くのホテルに戻ってシャワーを浴びて着替えてから特典会へ。いまさら何を、とも思いますが、ただでさえあんな若くて(そーでもない?年の差の問題ですよ…)可愛くて綺麗な女の子にこんなヲタの相手をしてもらって申し訳ないので、少しでもこちら側は清潔な状態で接したいと思うので…また、今回のツアーは戦闘モードで行くためにメガネをはずし、BiS階段以来のコンタクトで観ているのですが、この日は「メガネで認識されていて、外してたら誰だか気が付かれなかったら嫌だなぁ」とヒヨって接触はメガネで。

接触の中身を細かく晒してまわる事は、デートや情事の中身を晒すようでデリカシーに欠けると思うのであまり細かくは書きません。ただ、ハグって良いですよね…とだけ…。「ストレスの1/3が解消される」なんて話は良く聞きますが、好きな子とのハグはそんな程度の効き目じゃないですよ…もはや医療行為としてのハグです。(ここら辺はかなりエクストリームなネタを孕むので、そのうち…)その上で、この日は割と普通のテンションで話せたかな。(ちなみに、好きな子が他の男に抱かれたり、面白い事を言われて笑っているのを見ているのは、分かっていても傷になるので、あまり見ないようにしてます…僕もあんな風に笑わせてあげられたらな…(´・ω・`)

 

特典会も終わった後は近所で反省会。おでんと焼き鳥旨旨。遠征しているおまいつさんたち、初めてちゃんとご挨拶できた研究員さん(失礼ながらこちらは存じ上げていなかったのに、「Keiさんですよね?」とお声をかけて頂く事が多くてビックリしています…)、そして地元の方々と。こうした席で好きな事を語り合えるのは本当に幸せな事で、有難く思っています。また、研究員の諸先輩方は、自分など足元にも及ばない音楽の知識・経験を有していらっしゃる方が多く、自分の拙いネタを理解し、受け止めていただき、その上で色んな事を教えて頂いています。(特にこの日はむらっちさんもいらっしゃって居たのでジャズや昔のピットインの話も少々。)不思議な縁ですが、有難く受け止めてこれからも大切にしていきたいと思えた、そして次の日からまだまだ続くツアーへの期待を抱きながら過ごした夜でした。

 

2/1のウイカさんからのレス:ありませんでした。

(不注意で驚かせてしまったのはノーカン。むしろマイナス。)

「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」の実現に寄せて

「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」の実現にご尽力頂いた関係者の皆様に心より感謝を申し上げます。

 

音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。音楽家はただひたすら音を出すだけの無力な存在であるべきだ。*1

 

この大友良英さんの言葉を、音楽を、どんな時だってこれだけは決して折れない心の槍に掲げて、どれだけの出来事を、年月を共に過ごして来たでしょうか。どれだけの夜と朝の隙間を超えてきたでしょうか。

ONJO、アンサンブルズ展、震災、音楽解放区、プロジェクトFUKUSHIMA!…そして今年の紅白~由芙ちゃんとの初詣の後の元日も、あの日の六本木ヒルズの天空のサイン波の夜も。

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オーケストラFUKUSHIMA! - LIVE @ 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA ...

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心の故郷である新宿ピットインで、最も敬愛する音楽家と、最も愛情を注いでいるアイドルグループのメンバーが共演するのは、感無量と言う他ありません。当日、どんな気持ちで演奏を聴き、その姿を見ることが出来るのか、全く想像がつきませんw

 

…待ちきれないんで、ツアーとかアルバムとか後にして、先にやってくれないかな?(・∀・)←

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先日の寺嶋由芙さんの1/19 渋谷clubasiaでのライヴ鑑賞後のブログ(ブログタイトル変更 - 記憶喪失学)にて

>このブログを始めようと想った理由がいきなり半分くらい済んでしまったwww 

と書きました。ではもう半分は何かと言うと「戦争と震災」についてです。

 

実は、このブログは僕にとっての「アイドル」と「戦争と震災」を論の両翼として、ここ数年の自分をツイートを辿る事で振り返り、統合すると言う目的で始めたものです。前者は言うまでもなくほぼ「BiS」であり、後者を述べるにあたっては事実上大友良英さんの事を書きたかったのですが(女川とソウル・フラワー・ユニオンに関する言及はBiSサイドなので)、何だか噂は耳にしていたのですが、その両者の共演が本当に決まってしまいました…Σ(゚д゚lll)

BiS official website / 新生アイドル研究会(Brand-new Idol Society)公式ウェブサイト / Live/Event

いつだって現実の出来事とスピードは想像を軽々と飛び越え、言葉は想いに足りないと改めて想うのでした。

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ところで、ブログを始めた年明けの時点のBiSサイドへの言及の目的は既にこの3週間ほどで何度も引っ繰り返っており、ここ数日の間ですら揺らぎまくっていて、それはそれは楽しくて仕方がありません。

1月だけでも代々木フリーライヴ、xxxx xxxxによる現場自粛未遂事件(現時点では掲載NG/以後公開できるかどうかも未定)、名古屋原爆BiS階段、寺嶋由芙のclub asia帰還、僕とプー・ルイさんの歴史的和解(僕からの極めて一方的な)、と言った一つ一つが超ド級インパクトのあるトピックのラッシュを受け、気合の入ったリリースイベント最終日の新宿LOFTでのライヴの勢いのままツアーへ向けたアゲアゲ戦闘モードの真っ只中のこの発表。何処まで引っ掻きまわしてくれるやら(・∀・)

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時系列が追いついたら書こうと想っていたのですが、実は僕は去年の秋頃より、仕事で事実上マネージャーとして孤軍奮闘取り仕切っていた大型のプロジェクトがコントロールしきれなくなったプレッシャーとストレスから、神経性の群発頭痛と軽度の鬱病の症状を発症していました。それは抗うつ剤の服用や、交感神経のブロック注射と言った治療、そして会社・周囲の業務上のサポートを受け改善しつつあるのですが、何がヤバいってその症状で気が沈んでいるのか、アイドルさんとの距離が縮まらなくて気が沈んでいるのか、治療のおかげで気が晴れているのか、レスをもらったから気が晴れているのか、本当に混濁して分からない時期があったと言う事ですwガチ病みのガチ恋と言う奇跡のコラボレーションは、まるでアウトサイダー・アートの様な極彩色の輝きを放ちながらますます精神を蝕んで行くのでした。この辺の経緯のテキストのイルさは本当にヤバいぜ!(・∀・)乞うご期待!だから100%文字通りこう言ったのです。

…重いなーっ!Σ(゚д゚lll)*2

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それでも、大友さんの言葉を大切にしてきたように、僕自身が発した言葉ですが、南博さんの演奏を聴いて呟いて以来、とても大切にしている言葉があります。その経緯を当時のツイートで連ねます。

 

そう、いつだって音楽が鳴っているのは今なんだ。録音・再生は出来るけれど、今この空気が揺れているのは、心が震えてるのは今だけなんだ。

だから、今最高である事を求めないならば、今も現場には行っていないよ、なんて事、やっと随分時間がかかったけど分かった気がする。

あの時はあの時のBiSが一番好きだった。だけど、今は今のBiSが一番好きだ。いつだって今が。

あの時はこんな事言ってたのにねw今や「三度の飯よりー\( )/」てなモンで。

 

ちゅー訳で\(ウイカさーん、レス下さーい)/*3


BiS / "ODD FUTURE(Special Edit)" Music Video -ファ ...

 

※初出2014/1/27 AM5:00公開

           2014/1/27 PM23:00誤字訂正し再公開

*1:

初出:「Studio Voice」Vol. 307、2001年7月号。特集"レヴォリューション・ポップ~音楽による政治解放宣言!" の巻頭文として。

リスニング・ポイントの爆心地〜耳を鍛えよ!(文:大友良英)

*2:このテンションで書き連ねるヲタのテキストは本当に「気持ち悪い」の一言ですね。

*3:好き。

ブログタイトル変更

特に意味は無いのだけれど。

(ちなみに菊地成孔とペペトルメントアスカラールのアルバムのタイトル。) 

記憶喪失学

記憶喪失学

 

 ====

BiSのテラシマユフを知ってる方も知らない方も。

 

寺嶋由芙を見てください。

寺嶋由芙の歌を聴いてください。

今のあの子を。

https://soundcloud.com/yufu-terashima/hjt6gf1atafp?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter

f:id:kei_apple:20140121012924j:plain

ってこの一言を言うのにあの日から8ヶ月かかったよ!!!www

あの日と同じあの場所でさ。

おかしいよね。あの子が前に進もうとしてるのに、今の今までこう言ってあげられなかった。まだ今のあの子に向き合って、真っ直ぐに見られなかった。

でも、もう大丈夫。

去年の10月に現在ライヴで歌っているオリジナル曲のレパートリーをおっかなびっくりでw披露してから、少しずつ、一歩一歩踏みしめながらのこの3ヶ月。

http://ameblo.jp/panda0708/entry-11648199897.html

 

2014年1月19日のライヴでは、本人もブログで綴っている通り、少し歌唱において声が出ず辛そうな所は見受けられました。しかし当初はキーが高いのでは無いかと想った楽曲達の歌唱も最近では不安なく聴けるようになっているのであまり心配はないと想っています。むしろこの日のそれが彼女なりの感傷によるものならば、それほどドラマティックな事はないと思ったのです、が、そんなストーリー廚の都合による解釈など一顧に介さぬ、圧倒的な輝きを今の寺嶋由芙は放ち始めています。その強靭さ、しなやかさ、可憐さ、純粋さ。僕らは今、今まで存在したどんなアイドルとも似ていない新しいアイドルの誕生に立ち会おうとしているのだと想います。

http://ameblo.jp/panda0708/entry-11753723769.html

 

本当にこの8ヶ月の寺嶋由芙のカムバック劇は将来的に色んな事が明らかに出来る時が来たら書籍にすべきだと想います。勿論タイトルは「成り上がり2」*1

 

しかしこのブログを始めようと想った理由がいきなり半分くらい済んでしまったwww

この一言を言うために始めたのに!wこれからどうしようwww

 

そんくらい特別なライヴだったんだよ!(´;ω;`)

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ちなみに、ライヴの後ゆふちゃんにコレ突っ込まれて「泣いてたの?(゚ω゚)」とか言われてメチャクチャ恥ずかしかったのでした…

泣いてねーよバーカ!(´;ω;`)つーか、ねむきゅんもこんなゆふちゃん本人にバレるような場所でこんな事言わないでよwww

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 あと、よりにもよってこの写真ねむきゅんに送ったなげき潰す…(´;ω;`)

*1:2013年2月に「monoマガジン」の表紙をゆふちゃんが飾った際、「この雑誌の表紙を物では無く人物が飾ったのは矢沢栄吉以来」と言う事が発覚したエピソードから

~2012年6月(BiS現場に足を運ぶまで)

クマ・トモの体力回復を待ちながら

早くもっとお話したいのに、体力回復までに余りにする事がないので、やむなくスパングル・コール・リリ・ラインを聴きながらこの文章を書き始めました。

f:id:kei_apple:20140116233533j:plain

  そうだよ!僕も頑張って働いてるんだよ!

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 ここ数日は気が動転するような事態が勃発し、このブログはおろかTwitterアカウントまで吹っ飛ばそうかと想ったくらいでしたが(なげきさん*1がアカ消しした時みたいにみんな心配してくれるかなー、とかちょっと思いながら)、色々手違いと誤解である事が判明し、事無きを得たので(むしろ「雨降って地固まった」くらい)、こうしてまた雑文を綴る気分に戻ってこれたのでした。その節はお騒がせしました…

 

 

 

時は遡り、自分の短いドルヲタ歴を少し思い返してみました。

~2012年6月(BiS現場に足を運ぶまで)

僕はアイドルさんに関しては歴も知識も極めて浅く、俗に今の「アイドルシーン」的な界隈に首を突っ込んだのは早見あかり脱退直前(つまり震災の直前でもあります)の2011年3月初旬に2010年のTIFのももクロの動画を見た頃からです。当時は周囲もやたら自分のような「この十数年毎年フジロックに行っている」ような層が一気にももクロに転んだ時期でした。*2

ももいろクローバー 行くぜっ!怪盗少女 あーりん わっしょい! - YouTube

Perfumeは見始めた2008年頃は既に接触等の終わった時期で、あまりそれ以降「アイドル」的視点で見たことも無く、更に遡れば2002年頃DJイベントを開催していたりした周囲に巻き込まれるままに*3松浦亜弥の「ファーストデート」ツアーを見に行ったりもしていたのですがそのまま定着する事も無かったので、やはりアイドル歴はももクロからと言って差し支えないでしょう。

 

この頃既にBiSは活動していたワケですが、ではどの程度自分が認識していたかと言うと、当時発行されたクイックジャパン*4にBiSの記事も載っていたものの、ももクロにしか全く興味がなくw、扉ページに少し載っていたBiSの写真と名前を見て「あぁ、どっかの大学のアイドルサークル女子部か」程度の認識しかありませんでした。

 

その後も2012年7月のももクロ襲撃事件*5(この時僕は会社を「外で昼食べてきます」と抜け、タクシーで新宿アルタ前へ駆けつけ、20分のももクロのライヴを見て昼食抜きで会社へタクシーで戻ったのでしたが)や、未だBiSの紹介において語られる事の多いMy Ixxxの全裸PVの記事*6にて名前を度々見ることがありつつも、ライヴに足を運ぶには至らないままでした。

 その後もユケさんが脱退した時に大変だったと言う記事や、ミッチェルやワッキーが加入した際のオーディション騒動が面白くてチェックはしていた記憶があります。

 

こんなカスる程度の認識のままアイドル現場デビューから一年強をほぼももクロ一本槍で過ごしてきた後で、売れてきてしまった事によるももクロ現場の変容に想うところがあり、ようやく2012年7月にBiS現場デビューする事になるのでした。*7

*1: :アイドルに面白リプを返すようプログラムされたネット上の擬似人格アカウント。本体はもうこの世に数本の毛髪を残すのみで意識は存在しない。

*2:きっとみんな何かに疲れて来ていたんだろう、と今でも想っています

*3:ハロプロナイトとかあややナイト周辺

*4:クイック・ジャパン VOL.95 | クイック・ジャパン - QuickJapan

*5:BiS ももクロZに“奇襲”でマネージャー土下座、そして…│Daily News│Billboard JAPAN

 

*6:http://natalie.mu/music/news/52564

*7:後にラジオでプー・ルイさんが「ロック⇒ももクロ⇒BiSと来た人は身を持ち崩すよ」とズバリ言われた事を想い出してしみじみしています…

初めに

■初めに

Miles DavisのDoo Bopを聴きながらこの文章を書き始めています。「何故ならそんな気分だからだ」等と書くとどうも中山 康樹訳のマイルス自叙伝のような調子になってしまいそうなので、敬語調で書き進める事にしようと考えています。(では何故自分がそんな気分なのかを考えても、大抵自分で気がついていないフリをしているだけなので大抵意味が無いのだけれど。)

Doo Bop

Doo Bop

 これからの文章は2012年7月に始めてBiSを見てからの僕自身の回顧録になる予定です。BiSの鑑賞記録を基本時間軸に、同時期に鑑賞した色々な作品や演奏、自分の生活について、あちこちに飛び火しながら気の向くままに当時のツイート等を参照しながら想った事を書き連ねて行きたいと想います。三日坊主にならなければ良いのですが...

 

折良くも本日2014年1月11日*1テレビ朝日さんの取材クルーに「何故BiSを観るのか?」と問われた事をきっかけに、自分のBiSに関する行動の動機を考えました。取材の場では適当に「面白いから」などとお茶を濁したのですが、わざわざ断定的にする必要も無いかと想いつつも、この結論を検証する作業でもあると感じたので思考してみると存外にシンプルなものでした。

 

僕はBiSに関しては未だにテラシマユフ(敢えてこの表記で)原理主義者であり、当時を至上とするクソ懐古廚である事。

2013年5月26日のゆっふぃー脱退以降は、「彼女が2年近くに渡って青春を捧げて来たグループの行く末を見届けたい」と言う想いで現場へ足を運んだ事。(それでも彼女が芸能活動を続けなければBiSを継続して観ようとは恐らく想わなかったでしょう。)

加えてワッキー脱退~ユッフィー脱退の長期に渡り精神的にサポートを受けたミッチェルへの恩義の為もありましたが、その繋がり・ストーリーも2013年9月22日の女川秋刀魚収獲祭で終わりを迎えた事。*2

そして、それ以降は惰性で現場へ足を運んだものの、せっかくなので楽しみを見出して行こうと無理矢理色んな設定にしてみたトコロ、最近はキャラがブレブレで迷走している事w

それを意外と自分自身楽しんでいる事。

なんだかんだでBiSが好きで、その間を通して知り合った人たちとの繋がりを大切に想っている事。

 

言葉に、字面にすると、どうも胡散臭くなるキライが否めないのですが、思考を言語化する事で、「自分で気がついていないフリをしている」事に目を向けられたりもするものですね。そこに意味を見出さなくとも。

 

*1:代々木公園でBiSのフリーライヴが行われた

ナタリー - BiS、重大発表を発表できずステージで涙「本当に悔しい」

*2:まぁその後も色々あったワケですが